2020年度「平和のきずな献金」 学習資料

 

 

                 

「遠く離れていても パレスチナの平和実現をめざして連帯を」

 

 

(アハリー・アラブ病院を支援する会)

 

 

 

1.パレスチナは聖書のお話の舞台です。

みなさんが良く知っているエルサレムもあります。この道は、エルサレムのヴィアドロローサと呼ばれている道です。この道をイエスが十字架を背負って歩いたと言われています。今、街の市場で商売をするお兄さんを手伝って弟や妹たちが荷車を押しています。パレスチナの家族は皆とても仲が良いのです。

2.右下にある場所を、パレスチナと言います。面積は日本の四国とだいたい同じ大きさです。イスラエルという国とパレスチナ自治区に分かれていますね。パレスチナ自治区は、ヨルダン川西岸地区とガザ地区に分かれています。ガザには200万人ものパレスチナの人たちが住んでいますが、もう10数年間(2006年以来)イスラエル軍によって封鎖されています。生活に必要なものが手に入らなくなっているのです。時々、イスラエル軍はガザ地区を飛行機や戦車で攻撃します。その時はたくさんのパレスチナの人たちが死んだり傷ついたりします。

3.昔からユダヤ人は、パレスチナに住む人たちと宗教は違っても、お互いにみんな仲良く暮らしていました。ところが、1948年の5月に、一部のユダヤ人たちが勝手にイスラエルという国を作ってしまったのです。ユダヤ教の先生たちもイスラエルという国を作るのを反対したのに、そこにはたくさんのパレスチナ人たちが住んでいたのに、国を作ってしまったのです。イスラエルの建国に反対するまわりの国やパレスチナの人々と、イスラエルは何度も戦争をしました。1967年の戦争はとても大きなものでした。(第3次中東戦争と呼ばれています)その頃からイスラエルは、パレスチナ人が住む地域をどんどん占領していきました。国際連合は、イスラエルに占領を止めるよう何度も忠告しましたが、イスラエルはその忠告を聞きません。この地図の緑色の地域がパレスチナ人が自分たちで政治を行うことができている地域です。だんだんと小さくなっていますね。

 

4.イスラエルはパレスチナ人たちが住んでいるところを占領するので、みんなはそこに住むことができなくなり、「難民」となりました。これは1952年に国連が撮ったベツレヘムにある難民キャンプです。左下の写真は今のベツレヘムの難民キャンプの様子です。右の写真と同じ場所です。テントを張った場所に、家を建てて暮らしています。みんな元気に遊んでいますが家は狭く、道路も狭く、お父さんやお母さんには仕事がありません。1950年頃の難民数は85万人ほどでした。しかし、最近の統計によれば難民数は570万人になろうとしています。

 

(* 地域ごとの難民数は以下の通りです。

西岸地区 85万人 ガザ地区 120万人 ヨルダン 204万人 レバノン 45.6万人 シリア 49万人。 

これらの難民の1/3が、現在58の難民キャンプに暮らしています。)

 

5.左の写真は、ベツレヘムの街です。向こうに白い壁が続いているのが見えますか。

この壁は、イスラエルが勝手に作った高さ8mの壁です、分離壁の長さは750kmにもなろうとしています。パレスチナ人をこの壁の中に閉じ込めようとしているのです。

学校で勉強をしている最中に、通学路に壁が作られてしまい、いつもの道を通って家に帰れなくこともあります。

 

6.この写真はパレスチナ自治区の南にあるヘブロンという町角の様子です。イスラエルは、パレスチナ人たちが住んでいる街にどんどんユダヤ人たちを送り込んでいます。

ヘブロンに500人のユダヤ人を送り込み、「そのユダヤ人を守るため」といって2000人のイスラエル軍を送り込みました。

 

7.パレスチナ自治区にはたくさんのチェックポイントと呼ばれている検問所があります。イスラエル軍がパレスチナの人たちの通行を制限しているのです。パレスチナの人たちはこの検問所に何時間も立たされて、行きたい場所に行けないことがよくあります。

8.アハリー・アラブ病院はさっき地図で見たガザにあります。イエス様が全ての人に愛を与えたように、アハリー病院でも同じ事をしています。お金を払えない人でもこの病院に安心して行けます。

9.イスラエル軍が攻めてくると、けがややけどをする人が増えます。

10.病院では、栄養の足りない赤ちゃんにミルクを与えたり、爆弾の音を思い出して恐くて夜も眠れなくなる子ども達がいるので、そういう子ども達を勇気づけるプログラムもあります。

11.このようにパレスチナの人たちへのイスラエルの占領は続いていますが、パレスチナの人たちは笑顔を絶やしません。必ずイスラエルの占領は終わることを信じて努力しています。この写真はアイザリア(新約聖書のべタニア)にあるダール・エイタンという孤児院(学校・寮・職業訓練所の総合施設)の子どもたちが日本から持って来たタコを上げているところです。一番右の8歳の子は、赤ちゃんの時にジェニンという町で家族全員がイスラエル軍に殺されてしまいました。でもこの学校に来て、お兄さんたちに助けられながら、大人になった時に仕事ができるよう学校にある工場で訓練をしています。

 

 

世界中の人たちが「イスラエルはパレスチナの占領を止めなさい」と声を挙げれば、この悲しい問題は必ず解決できます。今も一生懸命に生きているパレスチナの人たちが、平和で安心して暮らせるよう、わたしたちもお祈りしましょう。また、パレスチナの事を知らないお友達にも伝えていきましょう。

 

写真・文:「アハリー・アラブ病院を支援する会」

製作:NCC教育部2020年9月

                          (写真の無断転載はご遠慮ください)